TatsukawaShinya

Tatsukawa Shinya

立川 真也

1973年生まれ。静岡県出身。ソロ「Clown Hat =クラウンハット」。グループ「Cru Cru Cirque =くるくるシルク」代表。グラフィックデザイナーとしても活動。
1993年大学在学中に、マイム劇の(有)劇団汎マイム工房入団。1995年日本大学芸術学部美術学科(絵画コース)卒業。1995年劇団汎マイム工房附属の(有)P.A.C(パントマイム・アーティスト・カンパニー)所属。以後劇団の主力メンバーへと成長、劇団が主催する数多くの舞台作品に出演。P.A.C所属パフォーマーとして、役者、大道芸人としても活躍する。2011年劇団を退団。自身がリーダーを務める「くるくるシルク」を中心に活動中。
フランスでサーカスを中心に演劇、ダンス、音楽にまで巻き起こったムーブメントのヌーボシルク(新しいサーカス)に魅せられて、1998年に、劇団内4名で、「シルク空」を結成。マイム、ジャグリング、ダンス、演劇を融合した舞台作品を発表する。1999年にメンバー1人がフランスの国立サーカス大学に入学を機に、「シルク空」が解消。残った3名で、2000年にサーカスパフォーマンス集団「くるくるシルク」を結成。リーダーとして、ヌーボシルクを意識した作品を毎年発表していく。2004年文化庁国内研修員として、専門の分野でアクロバット、ダンスなどを学ぶ、同時に舞台作品に取り入れるための映像を学ぶため、デジタルハリウッドに入学。半年間映像編集、制作を学ぶ。制作した映像作品は、学校の代表作としても発表された。
「くるくるシルク」では、文化庁の助成事業としても積極的に舞台作品を発表。目標であった映像を融合した作品もいくつか発表を果たす。2007年以降から徐々に活動が認められ、海外の大道芸、演劇、サーカスフェスティバルから招待を受けるようになる。2011年には、フランスからメンバーが帰国したのを機に、劇団汎マイム工房からメンバーと共に退団。再び4人でくるくるシルクDXを結成。国内、海外と活動範囲を広げている。

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Interview

インタビュー

  • 活動を始めたキッカケはなんですか

    美術大学で画家を志し油絵を描いていましたが、その頃の現代美術の中にパフォーマンスアートというものがあり、自分もそんな作品も創りたく、大学3年の時に、同級生がたまたま学校の廊下で見せたパントマイムウォークに衝撃を受け、タウンページに載っていた近所のパントマイム劇団を見つけて入団したのが一番最初のきっかけだと思います。
  • 活動を続けるなかで大切にしていることはなんですか

    感動する心。絵を描いていた頃からのテーマである「愛」。
  • 忘れられない印象的なエピソードはありますか

    大学時代にアフリカを旅したことがあり、スラム街に入りこんでしまったのですが、街にいた子供に、習いたてのパントマイムの「壁」を見せたら、ひとりの若者が俺も出来るぜと、カンフーの型を見せてきて戦いと間違えられ、危うく決闘になりそうになり、すごい人数に囲まれてしまったこと。
  • 新しく挑戦してみたいことや目指していることはありますか

    常にあり・・・。内緒です。